稲生二平(Noppe)のページ


 

「クリスマス木工」を振り返る

 

季節はめぐり、今年もクリスマスがやってくる。この3年間、毎年いまごろはクリスマスがらみのDIYを楽しんで来た。今回はそれらを振り返ってみる。

 

2020年に作ったのは、三角のフレームに各種の松ボックリを配したツリーだ。松ボックリを一つずつボンドで貼り付けて行くのに手間取ったのが懐かしい。テッペンは星のかわりにヒトデを使った。我ながら、なかなかのアイデアだった。

 

 

2021年はサンタクロースの人形を作った。別個に作った胴体と頭のカーブがなかなか合わずに苦労した想い出がある。

 

そして去年2022年は、シンプルなサンタを沢山作って、いろいろな方にプレゼントした。みなさん喜んでいただけたようだ。今、我が家には2体が残るだけになった。

 

そして、今年はーー。

もしかすると、急に思い立ってなにか作るかも知れないが、今のところ良いアイデアが思いつかない。

 

クリスマス、古い人に言わせれば耶蘇教(やそきょう)のお祭りだが、宗教とは関係なく、なんとなく楽しい気分になるものだ。

町にはクリスマスソングがながれ、きらびやかなイルミネーションがまたたく。

素敵なご婦人でも横に居れば、もっと楽しいのだろうがーー。

  ないものねだりの爺のクリスマスが、まもなくやってくる。


私の「辰(たつ)」

 

誰も見たことのない想像上の動物、十二支の中でただ一つの実存しない動物、「辰」は来年の干支だ。

この「辰」、一昔前までは我々にも馴染みがあった。「辰の刻」といえば午前八時頃、「辰の方角」とは東南東のことだ。今は、特殊な職業以外では、ほとんど使われることのない字になった。

 

毎年、年末が近づくと来年の干支の人形を作る。

実存しない動物をどのように表現するのか。

まずいつものように、ネットで「木工の辰」、と画像検索してみる。お寺や、神輿(みこし)にあるような複雑な彫刻が多い。なかには「たつの落とし子」もある。

更に「竜」、「麒麟」も検索する。多くの画像からイメージを絞りこみデザインしてみた。画用紙に書いてみる。なんとなく違うなあ、と気に入らないところを消しゴムで消しては、また書きなおす。そうこうしてうちに、全て直線で作ることを思い立った。

次は「色」を決める。何故か沢山の画像の中に緑色を使ったものが多いので、私もそれにならうことにした。さらにウロコ模様を油性のサインペンで描いた。腹などの内側はグレー、口の中は真っ赤にした。

いつも迷うのが「目」である。今回は手芸店で直径4㎜の赤い木製のビーズを見つけ、それを「目」として使うことにした。目は、その位置、色で表情がガラリと変わる。今回も、なんとなく愛らしい「辰」になってしまった。

16㎝、高さ10㎝、厚さ18㎜の「私の辰」の完成である。

毎年末、干支の人形をつくり、今回が8年目、あと4年、私が81歳の年末で十二支が全て完成する。それまでは頑張らねば、と妙に元気が湧いてくる「辰」なのである。


黄金比コンパス

 

何故、こんな役にも立たないモノを作ったのだろう。広げれば、その比率が黄金比になる、ただそれだけのコンパスである。

「安定した美感を与える」とか、「調和の取れた美しさがある」と言われている黄金比。縦と横の比率が約11.618の比率のことだ。

例を挙げれば「ミロのヴィーナス」は、その全身をへその部分で上下に分けたときの下半身と上半身の比、あるいは全身と下半身の比が黄金比になっている。

レオナルド・ダ・ヴィンチの「モナリザ」の顔の横と縦の比が黄金比になっている。

葛飾北斎の「富嶽三十六景 神奈川沖浪裏」にも黄金比が使用されていると言われている。

建築物ではエジプトのピラミッドの高さと底辺の長さの比、パリの凱旋門の中央開口部と全体の高さの比、建築家アントニオ・ガウディのサグラダ・ファミリア、唐招提寺金堂や金閣寺、ニューヨークの国際連合ビルなどに黄金比が使われているらしい。

ダ・ビンチも、北斎も、ガウディも黄金比なんて考えていなかったが、美しいモノを作った結果、黄金比に近かったということだろう。

身近なモノでは日本の標準的な名刺のサイズ(55×91mm)は縦横比が1.654となっている。クレジットカードやキャッシュカードのサイズは53.98×85.60mmでその縦横比1.585で黄金比に近い。たばこの箱のレギュラーサイズは、55×88mmでその縦横比は1.6となり、黄金比が使用されている。

 

写真の黄金比コンパスの先端は、厚さ3㎜の板に直径2㎜の穴をあけて針を刺してある。この病的な製作作業が妙にハマルのだ。

しかし、結果は名刺やクレジットカードにあててみて、「ウン、そうだね」、と黄金比を確認するしか役立たないコンパスなのである。


懐かしのアルバム その①

ベビーベッド

 

私も普通の爺のように「昔を懐かしむ」、という年寄りになってしまったようだ。アルバムを開いたら懐かしい写真が沢山出てきた。

写真は初孫の為に作ったベビーベッドだ。写真と一緒に貼られていた手書きの設計図に、20031226日と記されている。

初孫がうまれたのが翌年の2月なので、ずいぶん早くに設計し、きっと正月休みを利用して作ったのだろう。はずかしながら、爺バカぶりがうかがわれる。

設計図によれば巾127㎝、奥行き77㎝、ベッドまでの高さが50㎝、まわりの囲いの高さは90㎝とある。

ベビーベッドにしては大きなものだろう。下にはオムツなどを入れるよう、大きな抽斗が二つある。素材は、ホームセンターで売っているSPF(ホワイトウッド)だ。

平塚市美術館で開催した木工展示会「木軸展」(後の「木楽展」)にも出品した。

その後2008年に二人目の孫、さらに姪の娘が生まれたときもこのベッドが役に立った。三人の赤ん坊が育った懐かしのベビーベッド、その後分解して廃棄したモノの、一部分だけ未だにガレージのなかに眠っている。その飴色に変化した木肌を見る度に当時のことが思い出される。


よみがえったベッド

 

現在の家を建てたのは25年ぐらい前になる。その後、同居していた義母はなくなり、娘は結婚して家を出たが、子供が出来て数年後、またこの家に一緒に住むことになった。ひとつの家に生活する人数が変われば、生活スタイルも変化する。それに応じて改築、増築を繰り返し、その状況に合わせて家族の使うテーブルや椅子、孫のベビーベッド、勉強机、本棚や家具などを作ってきた。小さな孫達は、家具というものは買う物ではなく、すべて爺が作る物だと思っていたのではないかと思われる。

再製したベッド本体
再製したベッド本体

 

さかのぼること新築した25年前、娘の為にベッドを製作した。彼女はまもなく結婚し家から出たので、ベッドは解体して物置にしまっておいた。

 

この度、ブラジルに移住している義兄が来日することになった。私より六歳も年上だ。ブラジルからは地球を半周し、アメリカで飛行機を乗り換え、およそ24時間かけての来日だ。我が家におよそ3週間滞在する予定だ。

そんな彼のために、その25年前のベッドを再製することにした。

物置に放置してあったベッドのパーツを引っ張りだしてみた。 とくに傷んだところはなく、立派に使えそうだ。掃除をして綺麗にしてからからオイルがけを施し、組み立ててみたら生き生きと蘇った。 

ベッドメイキングすれば立派なベッド
ベッドメイキングすれば立派なベッド

25年前の私の工作を見れば、未熟な技術をカバーすべく、けっこうガンコに作ってある。また、今の時代とちがい木材もそれほど高価ではなかったのだろう、すべて無垢のレッドウッド材を使ってある。今なら、数万円以上はするであろう貴重な木材だ。

マットなどは大手の家具屋で購入。とても素敵なシングルベッドとなった。さっそく昼寝をしてみた。なかなか寝心地も良い。

日本での滞在期間中、せいぜいこのベッドでリラックスしていただければありがたいと思うしだいである。


稲生二平 イノオ ニヘイ(ニックネームNoppe1946年、藤沢市生まれ

小さな頃からモノ作りが好きだった。三宅氏の誘いで2002年に平塚市美術館で開催された第二回「木軸展」へ参加したのがきっかけで本格的に木工の虜になる。家具、玩具などを中心に製作する一方、自宅では小屋やウッドデッキなどの大物も手がける。

当ホームページ、編集責任者