三宅健一のページ


サンタと煙突

 

 我が家の小屋には以前煙突があった。といってもサンタがやって来る12月だけ屋根に付けた、それも段ボール製で着脱できるものだった。それが数年前の強風で吹っ飛ばされ、見る影もなく破壊されてしまったのである。

 そのあとは煙突なしのなんとなく画竜点睛を欠いたく淋しい12月の小屋風景になっていた。時に相棒から「煙突付けなよ」と言われていたのであるが、実は孫も大きくなりサンタが煙突からやって来ると話す年齢でなくなったこともあって、新たに作る気にならなかったのである。

 

先日テレビに映った煙突小屋を目にしたとき、もしかしたら子供たちにだけでなく、自分自身に「サンタが新たないい年をプレゼント」してくれるのではないかと、急に思い気付いたのだ。

 確かに煙突がなければ何も持ってこられない。それではと、まさか段ボールではなく今度は常設の木製のしっかりしたものを作ろうと思い到ったわけである。

 

どうせなら風雨に最低でも5年は耐えるものを作ろうとポンチ絵設計する。と言ってもどうせ遊び、見かけが最も重要となる。そこでレンガの古い煙突らしさをペンキ書きした。レンガは赤褐色だけど小屋に合わせ色は黒にし、目地線は手書きとして手積みの雰囲気を出した。まあ少し個性を持たせたつもりである。漆喰ではないけど城で言う“なまこ壁”の色合いでもある。

 このレンガの割付が結構難しく割付の図を描いた。もともといい加減な外形寸法なので普通のレンガのタテ/ヨコに合わないのだが、雰囲気だけでもサンタに気に入ってもらえればいいのである。

 

 

 これで用意万端だ、“甲辰(きのえたつ)という年”である前向きの新年を持ってきてくれるサンタクロースを待つばかりである。


ペンキでリファイン

             

この2、3日でやった手作業についてである。

普段、書類を入れるのは革製鞄だが、書類以外の不定形のものや量的に入らないときは厚手のキャンバス製のバッグを使っている。ただ15年前に買ったもので布地の汚れやシミが目立つようになってちょっと見た目が野暮ったい。でも糸のほつれや下げベルトの縫い付けなどは傷んでいないので、まだ十分使えそうだ。

 ずっと眺めていて、何となく気に入っていて捨てる気にならない。では洗濯機で洗う、あるいはしみ抜きや汚れ落としする?は気に入らない    、そこで「塗装しては」と思いついたのである。木工品の仕上げじゃないけど、布にペンキ塗りなんてまずしないけど、逆に面白そうなのでやってみよと思ったのである。

 色はいつものブリティッシュ・レーシング・グリーンに決まり。キャンバス製なのでツヤは出ないし。凸凹でうまく塗れるかどうかわからない。まず目立たない底で試し塗りしてみると案の定、液体の塗料は地にさっとしみ込んでしまって全く伸びない。ちなみに塗料は調合の水性である。

 2度3度と塗りを繰り返し、ムラをなくす。この写真が仕上がったバッグである。塗る前の茶系キャンバスの写真を撮らなかったのが惜しまれる。2日ほど自然乾燥した。自分で言うにもなんだけど、このリファイン&リフレッシュで数年は使えそうである。

味をしめたわけではないが、木以外で塗装して蘇るものはないかと、いくら何でも布地の服にペンキするわけにはいかない。

この辺でやめておくのが得策、見方を変えれば省エネ・省資源、小さなな小さな世のためである、とは大袈裟か?


 

ワンコイン クラシック

 

久しぶりにいつも新潟で泊まるビジネスホテルの近くにある喫茶店に立ち寄った。今流

の洒落たカフェではなく、喫茶店というのが似合う店でのモーニングコーヒーである。

 前にも書いたことがあるけど、ここに足が向けるのはパラゴンがあるからでもある。パ

ラゴンの説明はしないが一言で「でっかいスピーカー家具」と思えばいい。何しろ幅は約2.7m、重さはアップライトピアノと同じ270㎏程ある。でかく重いのだ。

日によってジャズ、軽音楽、クラシックなどの曲をマークレビンソンのアンプで鳴らしている。レコードが合っていると思うけど手間がかかるからだろうソースはCDだ。

いつもBGM的に小さめな音で鳴っていて、その高級な装置の良さが発揮されていないを残念に思っていたが、その日は結構な音量、それもクラシックが店内に充満していた。主にピアノソロで当たり前のこと、いい音だ。

 コーヒーはサイホンで淹れてくれる。料金はワンコイン、つまり「コーヒー付きパラゴン」か「パラゴン付コーヒー」か、どちらにしても悪くない。もともとコーヒーの味も音楽の好みも個人的・雰囲気的でアバウトだ、いいと思えればそれが一番だ。

 自分にはコーヒーショップに限らず行きつけの店はないけど、数か月に1回程度とはいえ立ち寄るこの“喫茶店”は行きつけの場所といえるのかも知れない。コーヒー&パラゴン出来る朝、正に平和な時間である。平和に勝る安寧はない、来月も

再来月もワンコイン クラシックに出会えればと思うのである。

最後に本日の推奨曲、モーツアルト「ヴァイオリン協奏曲 第3番・第5番」の2曲である。モーツアルトなんと19才、天才の若さたぎる旋律は聞く者の気を躍動させるに違いない。気が向いたら第一楽章だけでもYouTubeでいかが!

 

 


紅葉と城と冬支度

 

11月になっても真夏日とは、冬のない三季になるのかと危惧するものだ。とは言え太陽を365日で回る公転が変わることはないので季節はめぐる。先日信州松本へ行って来た。鎌倉から中央高速、長野道で4時間程のドライブである。

トンネルは少なく山の間を縫って走るので起伏と曲がりの多いのが中央道だ。その最高地点(標高1015m)を示す標識が小渕沢ICを過ぎたところにある。面白いものでこの標高に近づくと左右の山々の木々が赤茶、黄色、紅と変わっていく。気温が例年より高く、植栽や動物異変が起きても季節はめくるめく証である。

松本の象徴は城である。日本の北から南まで城はいくらもあるが、天守閣のあるのは12城だけ、そのうち国宝天守の城は5つしかない。その一つは言うまでもなく松本城である。ちなみに他は犬山城、彦根城、姫路城、松江城である。

何故松本かというと孫が今年から松本住まいとなったからである。紅葉と城の話は前書きの話である。松本は「三ガク都(岳都・楽都・学都)」と呼ばれる故もあってか、落ち着いた雰囲気は大いに気に入っているが、問題は間近かに迫った冬の厳しい寒さである。松本は盆地でもあり降雪は少な目だけど朝は氷点下となり、最高気温も45度にしかならない日も多いとか、およそ鎌倉ではありえないのだ。

 

現実の暖房問題、冬支度である。部屋が大きめでエアコン、石油ストーブは用意したが光熱費が問題だ。和室があるので、ここで最も省エネと言われる暖房機“コタツ”の登場となる。新規に買わず、今使っている長方形のテーブルをコタツにすることにし、コタツヒーターを購入した。

そこでコタツ板作り、久々の木工である。とは言えコタツ板は単なる板なので木工と言えるかどうかは疑問だが、リバーシブルとして表は縁付メープル色、ウラは縁無しオールナット色の仕上げとしてみた。どっちが表で裏か分からないけど。

これで一応冬支度は終わり、寒い日はコタツに入って温かいインスタント食でも腹に入れれば松本の厳冬を過ごせるだろうとは思うけど、どんな寒さなのか分からない。

そして冬を超え犀川湖畔の桜見となれば、一年巡りとなる。めでたしめでたしだ。


驚き、時代考の2

 

先週の「日本人が現金を使えない」って言う驚きに続く第2弾である。「働くと罰金」という話しである。昭和時代は「働け・稼げ」が、今は真逆で働いてはいけない、規定時間を超えての働き過ぎは罰金(使用者側に課税)となる。労働者の働く環境や待遇、人権それに働き過ぎによる健康被害を回避するための労働基準法の改正、施行である。確かにその通りブラック企業の過剰労働は非であることは明白である。

昔から労基36協定等々あるにしろ、働きたいだけ働く、わたくしを以て古い人間には、働き過ぎは“罪”そして“罰金”なんて考えたこともない。驚きの時代である。論点はどちらに立つかで正否は変わるが、納得できない自分自身である。

流通の2024年問題というのがもう間近に迫っているのである。おそらく宅配に始まりトラック輸送に依存する現在、流通が大渋滞を起こしひいては経済の停滞に及ぶような気がしてならない。そうでなくてもドライバー不足でバスなども減便、24年問題で減った勤務時間で賃金の大幅減。ドライバーにとっては死活問題だ。賃金保証をせず、単に労働環境の改善という名目で残業時間を減らす制度改革はドライバー諸氏にとっても、日本の殆どの運輸をトラック輸送に頼っている日常生活、社会機構にとっても、「制度改革」で良しとするものでは決してない。

問題は、日本の賃金は給与・残業手当・ボーナスで成り立っていて、本来なら給与だけでひと月の生活費プラスを賄えなえるはずなのに、不確実な残業手当とボーナスを生活費に組み込まなければならないところにある。言うまでもなく月の残業が重要となっているのだ、健全でないけど現実である。

日本経済の沈滞、グローバルな経済環境から、それらの旧態の所得構造にヒビが入っていて、それに対処すべき新たな制度を作るが、即機能不全、不具合となるとまた新たな制度を作る、自らを身動きできない状態へ、その繰り返しである。日本亡国、奈落零落である。

話し最初に戻して、改めて「働くと罰金」というのは何か違う気がする。人は何かをしたい・する、そこが原理原則なのでは。今回もまた極論の時代考となったようだ。

いずれにしろ制度がどうであれイケイケどんどんの日本、“六甲おろし”のような前へ前への日本になって欲しいと強く願う一人である。

         


三宅健一 ミヤケ ケンイチ 1945年、東京都生まれ。

木工作は、上手い下手は別として40年余り続いてきたのは驚きというほかありません。続けてられたのは木工が好きというのは勿論ですが、作るものがあったということでも一因なのです。毎回何を作るか考える、それが最も大切なことかも知れないと思う昨今です。